私の信条

なぜ私、平田功一が「素直」を使命として掲げるのか、その理由を聞いてください。

私が、30歳、転職して入社した会社での出来事です。

その会社には、平成4年4月に入社しました。

 

その会社は、その前に勤めていた会社の上司が独立して立ち上げた会社で、メンバーは全員その上司の部下ばかりでした。

私も創業メンバーの仲間に加えてもらえ、元々気心のしれた者の集まりですから、人間関係に何の問題もなく、私自身の仕事(営業だったのですが)も、前職のクライアントから仕事を頂けるなど順調なすべりだしでした。

 

社長から、「前の会社の仕事の延長をしているだけではいずれ行き詰るから、自分がやりたい商品(企画)をつくり提案しなさい。」と言われ、自分の温めていたことを企画書にしました。

 

提案するターゲットはテレビなどでコマーシャルをうっているブランド商品を扱った大手企業
だったのですが、「弱小企業のうちでは、相手にしてもらえないから無理だ」という同僚の声もありましたが、テレアポや紹介でコンタクトをとることから始め、何社からか採用されることになりました。

その会社に入社してから2年後の4月、それまで順調だった私の営業実績がゼロという結果になりました。

 

なんとそれから12ヶ月連続ゼロという日がつづいたのです。

悩みました、考えました、我武者羅に動きました、でもダメでした。

 

営業会議にでるのも辛く、社長と顔を合わせるのも辛い日々でした。

 

そんな状態にいたたまれず、置き手紙の状態で辞表を出し次の日から出社をしませんでした。

同僚が家に来てくれ、「社長が、一番頼りにしている奴に逃げられた!」という言葉を聞かされた時は、それまでの情けなさの重しの上にさらに申し訳なさと悲しさの重しが重なるような気持になりました。

私は、「オレってだめだから、もう放っておいて」とその同僚にいいました。

 

自分は自分が夢を描いているような仕事をする能力や資格なんてないんだ、世の中から求め
られてもいないだろう、そんなマイナスの気持ちで浸りきっていたい状態でした。

それから私は、人との接触を断ちました。

 

一人暮らしのアパートにこもり、電気もテレビもつけず、昼でもカーテンを閉め、昼も夜もわからない、今日は何曜日かもわからない生活をしていました。

 

阪神大震災があったのを知ったのは何日もたってからでした。

そのとき私は、世の中から存在を消してしまいたいという気持ちでした。

そんな状態から3ヶ月くらい経ったある日、私は、皆で独立する前の会社で、机を並べて働いていた女性からの電話受を受けました。

 

彼女は、我々が独立した後、結婚退社していました。

 

私のうわさを聞いて案じて電話をくれたのだと思います。

 

彼女の電話は、私の状態を気遣うものではなく、とりとめのないものでしたが、若い夫婦が普
通に慎ましやかに生活している、そんな中に幸せを感じるものでした。

 

その時、私は『普通でいいんだ!』と思いその時、ふと、体が浮くような感じになりました。

そして、普通でいいのなら、自分にでもできるじゃないかと思い、コンビニで就職情報誌を買い就職活動を始めました。

 

すると3社から合格通知をもらい、売上1年ゼロのこんな自分でも必要としてくれるところがこんなにあることに驚きと嬉しさを感じました。

この事実を直視したとき、人から良く見られたい、できる人間と思われたいという気持ちだけで生きていた自分に気づきました。

 

“虚勢をはる”これは子供の頃からやっていたことかもしれません。

 

私は理想の自分と現実の自分の差を認めたくなく、常に理想の状態でいるという見せかけを人にみせようとしていたと思います。

 

1年間ゼロの状態の時、批難をうけることはありませんでした。

 

今思えば、社長をはじめ仲間達が、心配し相談の手を差し伸べてくれていたのを素直に受けることができない自分がそこにいました。

そう、私には素直さが足りなかったのです。

このことに気づき、新しく雇っていただいた会社(コンサルティング会社)では、私心なく、ひた向きな気持ちで、相手の会社の実績をアップさせることだけを考えていました。

 

これまで、いつも人に自分の考えを押し付けることが常でしたが、その会社のスタッフの声を聞き、一緒に考えながらやっている自分がありました。

すると、その会社のスタッフが私自信を受け入れてくれ、多くの問題がみるみるうちに解決し、実績がアップしました。

 

その時は、理想ではなく現実の自分の価値を見つけることができました。

このことで私は、素直さは、自分の行動にひたむきさをもたらし、自分の素直さを感じてくれた相手は、素直に自分を受け入れ、相手も素直に気持になってくれることを知らされました。

この体験から素直さを私の使命として掲げることにしました。

出会うお客様ひとりひとりに素直さを忘れることのないよう、この言葉を私の命の使い方として掲げていきます。